第12回 『もの忘れ外来』ではどんな治療をするの?

1999年9月14日、わが国で初めてのアルツハイマー型認知症治療薬であるアリセプト(一般名:ドネペジル塩酸塩)が承認されて以来、10年以上この薬だけが認知症治療薬として臨床で使われてきました。そして、2011年3月には待望のリバスチグミン(商品名:イクセロンパッチ、リバスタッチパッチ)、ガランタミン(商品名:レミニール)、メマンチン(商品名:メマリー)の3種類の抗認知症薬が承認され発売になりました。これらの新薬についていろいろな情報がありますが、このコラムでは、何回かにわたって、これらの薬剤の正しい情報をわかりやすく解説しましょう。まず、初回は薬物療法の意義について述べましょう。

この記事の執筆
今井幸充先生
医療法人社団翠会 和光病院院長 / 日本認知症ケア学会 元理事長
今井幸充先生
この記事の目次
  1. 認知症は生活障害が主体です
  2. 抗認知症薬とはどのような薬でしょうか
  3. 認知症で使われるその他の薬
  4. 残念ながら認知症を治す薬はありません
  5. 薬を使わない治療とは
  6. ユッキー先生のアドバイス

認知症は生活障害が主体です

アルツハイマー型認知症をはじめとする認知症の代表的な症状としては、新しい思い出が作れなくなるエピソード記憶の障害があります。この記憶障害は、全ての患者さんに見られると言ってよいでしょう。そして、この障害に伴い今日の日時や曜日、季節、今いる自分の場所が何処なのか、また目の前の人は自分とどのような関係の人なのか分からなくなる見当識の障害が見られます。その他に、正しい理解、判断ができなくなり、また生活の中で混乱が見られ、人とうまくお付き合いすることができなくなるのです。すなわち、社会生活が上手く営めなくなり、家庭や地域社会、会社などで活躍することが困難となるわけですが、これらの症状は、コミュニケーション能力の中核である認知機能が障害されることで生じます。

この認知機能の障害に伴って、セルフケア、自発性、趣味、関心、感情、行動などのさまざまな周辺の機能が障害されます。認知症の介護の問題で必ず話題に上がるのが介護者にとっての困った行動や感情です。例えば、もの盗られ妄想、嫉妬妄想、被害妄想といった訂正が不可能な誤った考えや、見えないものが見えてしまう幻覚、不眠、不安、恐怖などの精神症状をはじめ、徘徊、興奮、攻撃、さらには叩く、蹴る、ひっかくなどの激しい行為などは、行動・心理症状と言って、家族の介護に大きな負担が伴います。

セルフケアの障害では、金銭の管理、家事、買い物、料理など生活一般に係わることや遠くに出かけたり、さまざまなイベントに参加したり、社会活動や社会参加にも支障を来します。さらには、摂食、排泄、入浴、着替え、身辺整理などの自分の身の回りのこともできなくなってしまいます。

このように認知症は、その人の日常生活に混乱をきたし、家族などのお世話がなければ生活できなくなる病気です。この生活障害を来す認知症高齢者に対して、物忘れ外来では、どのような治療が行われているのでしょうか。

抗認知症薬とはどのような薬でしょうか

認知機能とは、先に述べたように人のコミュニケーション機能の中核をなすもので、知的機能(知能)とほぼ同じ能力のことです。アルツハイマー型認知症をはじめ認知症を来す全ての疾患は、脳の神経細胞が何かの原因で大量に脱落する事により、この能力が障害されますが、その原因として脳の中にある種の毒性のタンパク質が出現して、これが神経細胞を侵してしまうと言われています。たとえば、アルツハイマー型認知症ではアミロイドβタンパク、レビー小体型認知症はαシヌクレイン、前頭側頭型認知症の場合は最近発見されたTDP-43というタンパクであることが分かりました。これらが、何故脳の中に出来て神経細胞を死に至らしめるのかは、特殊の遺伝子が関与しているらしいことまでは分かっているのですが、未だ詳細は明らかにされていません。

しかし、アルツハイマー型認知症では、この神経細胞の脱落により神経の働きを促す物質(神経伝達物質)の機能が失われ、記憶障害をはじめ、人間の高度な脳の機能が障害されることがわかっています。そこで、記憶に関連する神経伝達物質の一つであるアセチルコリンを脳内に留めて置くことで、記憶力の回復を期待する薬剤(アセチルコリン分解酵素阻害薬)として開発されたのがドネペジル塩酸塩、商品名アリセプトです。最近発売されたリバスチグミンやガランタミンは、同じような作用のお薬ですが、メマンチンは神経細胞を保護する作用の薬で、他の3剤とは多少作用機序が異なります。

しかし、いずれの薬も神経細胞が死滅することを止めたり、失われた神経細胞を再生したりする効果はありません。それ故、まだ脳内の元気な神経細胞の働きを高めることにより、記憶力を多少改善する効果はありますが、それらの細胞もやがて死滅してしまうので、本剤を服用していても、認知症の進行を完全に押さえることができません。

認知症で使われるその他の薬

認知症は、その初期から不安、怒りっぽい、拒否、イライラ、憂うつなどの情緒の障害や物盗られ妄想や被害妄想などが見られます。またその進行に伴い興奮、暴力、徘徊、不眠、昼夜逆転、せん妄状態、不潔行為、失禁など、介護上大きな負担となる行動が出現することがあります。これらの行動は、認知症の人が置かれている状況や環境が要因となったり、自分の衰退していく能力を何とかしたいと思う気持ちの表れであったりすると言われています。もう一つの要因としては、認知症は脳の病気で、この脳が冒されることでみられる行動の異常です。

このようない異常な行動は、適切な介護や認知症の人が住みよい環境を提供する事で、消失することがあります。介護の工夫や対応でも困った行動が治まらない場合は、薬物を用いることがあります。主に向精神薬を用いるのですが、これらの薬剤は、興奮や落ち着かない状態、物盗られ妄想などの妄想や幻覚、また憂うつな気分を改善するのに有効なことがあります。また認知症の人は、ときどき夜間の不眠や昼夜逆転などの睡眠のリズムの障害をみることがありますが、それらの症状にも睡眠導入剤などの睡眠剤が効果的です。

しかし、向精神薬を臨床で用いる場合は、その副作用の出現に注意しなければなりません。また最近の非定型抗精神病薬と称する新しく開発された向精神薬の中には、糖尿病や心臓病などの合併症がある場合に用いることは危険で、禁忌の薬剤に指定されているものもあります。この向精神薬の使い方や副作用については、このコラムでいずれ詳しく説明しましょう。向精神薬の使用は、特に高齢者の場合は慎重でなければなりません。ただ、向精神薬は、決して恐ろしい薬ではありません。症状に適した薬剤と投与量を選択し、副作用にたいする正しい知識があれば、これらの薬剤は介護負担を軽減する有力な武器になります。

残念ながら認知症を治す薬はありません

日本でアルツハイマー型認知症の治療薬として認可されている全ての薬剤は、残念ながら認知症の人の失われた能力を完全に取り戻すようは画期的な薬ではありません。その抗認知症薬は、認知症の進行を多少遅らすだけの効果が確認されていますが、この治療効果についてちょっと考えてみて下さい。アルツハイマー型認知症の初期から中期は、行動の異常が多く見られる時期で、家族が介護するのに最も負担を強いられる時期でもあります。抗認知症薬を服用することで、この大変な時期を引き延ばすだけだとしたら、認知症の人やその家族にとって、それらの薬が本当に良薬と思えるのでしょうか。

それゆえ、これらの抗認知症薬がアルツハイマー型認知症の臨床で有効な治療薬になる為には、家族が、また介護者が一日でも長く介護できる環境を同時に提供しなければなりません。そこで「もの忘れ外来」では、家族が過度の期待を抱かないように薬の効果を十分に説明し、同時により良い介護環境を提供するために、日常生活のアドバイザーの役割を果たして行く必要があります。

認知症症状のみにとらわれた診療は、認知症の臨床家として感心できません。認知症の人を介護する家族は、介護に不安と負担感を抱き、日々戦っています。そして、そこにはさまざまなストレスが生じ、それらが度重なると心身ともに疲れ果て介護破綻に結びついてしまいます。それゆえ、臨床家は家族も第2の患者と位置づけ、家族の介護負担を軽減するような適切な指導に重点をおき、対応することが求められます。適切な対応が同時に行われてこそ、抗認知症薬が臨床でその効果を発揮するのだと思います。

薬を使わない治療とは

認知症の人の過去の記憶を意図的に引き出し、その時の気持ちを介護スタッフと一緒に共感しながら、認知症の人の心の安定をはかるのが回想法です。時間や場所など認知症の人が置かれている現実を正しく認知するように支援するのがリアリティ・オリエンテーション法です。これらの治療法は、デイサービスなどに広く取り入れ、一定の効果を得ています。このような認知症の人の残された機能を引き出し、豊かな感情表出を期待する薬物を使わない治療を併用している「もの忘れ外来」もあります。その他に音楽療法、演劇療法、アニマル・セラピーなど、さまざまな方法が試みられていますが、これらの治療法は、認知症の人の精神面での落ち着きや異常な行動の改善が期待されますが、認知機能を改善するまでには至りません。しかし、これらの療法は、集団のなかで認知症の人同士あるいは治療者の間に馴染みの関係が生れ、コミュニケーション機能の維持やそれを高める効果があり、また認知症の人と治療者の間に信頼関係が作る為の欠かすことのできない方法の一つです。

ユッキー先生のアドバイス

アルツハイマー型認知症をはじめ認知症をきたす疾患を診断した場合に医師は認知症の人ならびにその家族に病名を告知する義務があります。その際に、判断力や理解力が障害されているご本人や毎日の世話に当たる家族に、どのように病名を伝えることがよいか日常診療では重要な課題です。病名告知は、原則として医師が行いますが、看護師や作業療法士、理学療法士などのケア専門家がサービスを提供する際に行うインフォームドコンセントでは、この病名告知が実施されていることが前提となります。

しかし、告知後にご本人の病気への不安や絶望感などを心配し、告知に抵抗を示す家族も少なくありません。医師は、告知のメリット・デメリットについて積極的に家族と話し合い、その不安の解消に努めますが、告知を実施する事で以下のようなメリットがあります。

告知とは、医師が病名だけを伝える行為ではありません。ご本人やご家族が今後認知症という病気を背負いながらどのような生活を営むと良いのか、また医療でどのような支援が出来るのか、などご本人とご家族の不安や心配に対して医師が丁寧に説明を加えることが告知です。ですからこのような行為は、医療と認知症の人・家族との信頼関係を築くことができます。このような関係ができると、認知症の人が積極的に受診をするようになりますし、規則正しい服薬も可能になります。また、これからの生活を豊かに過ごしていただく為のさまざまな社会資源の利用の際に、抵抗が少なくなります。また、日常生活での不安や家族への攻撃も少なくなり、家族が介護しやすくなります。

(2013年7月2日)

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